ミンダナオでの平和キャンプを終えて戻った後、キャンプを主催したNGOのミーティングに参加し、台風の被害を見聞きして受けた印象、あるいは親族との音信が途絶える家族への心配の思いを共有し、カトリック教会の呼びかけに応じて被災者への祈りをささげると同時に今後個人として、また団体として何が出来るのかを話し合いました。
会議参加者から聞かれた声
皆から聞かれた言葉は、驚き、悲しみ、痛み、しかし希望もあるといったものでした。会議を参加した大半の会議参加者が、Peace Campに参加していたため、インターネットあるいはテレビが見られる環境になって状況の深刻さにまず驚愕しました。家族、親族と連絡がつかないため心配する気持ちを抑えられない、あるいはテレビの映像を観て思わず涙を流したと言います。そして多くを失ったことへの痛み。しかし、困難な状況はこの個性ある地域に分断された国が一つの方向を向いてくきっかけではないかという声も聞かれました。フィリピン人は皆仲が良いので一つにまとまりやすいと思われがちですが、実際は古くから地理的な分断により独自のコミュニティを作ってきてきたため地域主義が染みついています。皆が同じ方向を向いて国を考えるチャンスなのだろうと考えたと言います。痛みを伴いつつもその起こった意味を捉えようとしている様子でした。
この間、政府の対応のまずさが批判の対象になっていますが、地域の政府を持って動く中央政府は地域政府に勤める役人自体が被災しているために出来ることが限られているようにも思われます。日本の震災の時もそうだったと思います。そうした状況で、政府の対応が十分ではないとどこまで言い切れるのか。それを予想して対応できるほどの資源も予算もあるのかも不確かであるため、私自身も含めて政府の非難より政治的意志の統一と動員がどこまで可能か、そしてそうなることを望む声が多く聞かれました。それと同時に海外からの迅速な支援に励まされるという声が聞かれました。
被災者への祈り
枢機卿タグルは、会議の行われた16日土曜日を追悼と希望の日として、祈りによる団結を呼びかけました。懺悔と瞑想、そして断食を呼びかけました。夜6時には教会の鐘が鳴り、一月前のボホールでの地震、そして今回のスーパー台風の被災者のために祈りを捧げました。
大きな災害が起こると宗教的意味合いと結びつけられる土地柄です。タクロバンを聖書のソドム・ゴモラの町に結び付け人々が話す声も聞かれます。また、他の宗教からはカトリックへの批判、教会の腐敗の故に罰が下ったという人もいるのだとか。今日の祈りの日がレイテ島の被災者たちを無言で糾弾するものではなく、個々人の深い内省に結びついたらと思っております。
何が出来るのか
個人、グループ、短期、長期の視点でざっくり話し合いました。詳細は来週のリーダーミーティング(なぜか私も投票によりリーダーに選出されましたので・・・)に持ち越しですが、以下がおおよその話し合いの結果です。
個人としてすぐに出来ることとして挙がったのは
-FBでポジティブなメッセージを拡散し、団結を呼びかけること
-寄付
-自分の生活習慣を変える
団体として出来ること
-サイコソーシャル(Psychosocial)、心理的手法を用いての被災者支援のためのボランティアトレーニングと派遣
-団体のメンバーに一日30分、夜の9時から9時半まで電気を消す、そして瞑想の時間を持つ
自分の生活習慣を変えると言うのは、台風の巨大化が地球の温暖化による可能性が高いため、今回の台風を警告として捉えて自分の生活を改めるということでした。環境活動家は、仕組みの変化の重要性を強調し、こうした個人の取り組みを軽視する傾向にあると思います。電気も留めておくことが出来ないので使わなくてもその分を発生させる仕組みがもう出来上がっている・・しかし、それらの事実を認識しつつも啓蒙的意味合いを持って30分の消灯など決めたわけです。台風を止めることは出来ないまでも台風をもしかしたら巨大化させないための温暖化への取り組みは、個々人としても社会として取り組まねばならないことだと感じます。なので被災者支援へのサポートも大切ながらも、環境問題にどう取り組むのか具体的な策の必要性を強く感じます。
瞑想の理由は、情報と物質に溢れるこの社会で衝動に抗らう力を高め、不安を軽減するなどの効果があるためです。シンプルに生活を営む一つきっかけとなるのではと思います。
最後に
寄付が何より有難いものの、台風が来るたびに対処的に援助を行っている状況に何とも言えぬ疲労感を感じます。自らも何か出来る道を探りつつも、地球そのものの環境の変化と捉えて、まずは自らの足元から考えるべきだと自分自身思った次第です。
懸念は、今は被害に遭った直後であるために世界的な注目を集めていますが、あと一カ月もしないうちに人々はこの災害を忘れさられることです。またタイミング的には年末年始、お金も必要になります。しかし、被害が甚大であったため、長期的な支援が必要になります。
寄付を考えている方にお願いしたいのは、少々待って頂くこと、そして一カ月、二カ月後に現地の人たちと直接のつながりを持つ団体への寄付して頂くことをおススメします。更に言うと、環境に優しい生活をして浮いたお金を寄付して下さったら嬉しいと思っております。温暖化が巨大化する台風の原因と訴えるなら(汗)その負の貢献をしている先進国や便利な生活を居住する都市部に生きる人々にも大きな非があるとも読みとれるのですが、それなら「罪滅ぼし」のためのお金よりも、原因に対応する形で少しでもお金が集められたらいいのではと思った次第です。
被災者支援ですが、缶詰もそうですが可能な限りローカルのマーケットで物資を購入し、現地の人に食事を準備してもらい、その代価を払う仕組みを作り、缶詰やインスタントラーメンなどで偏りがちな栄養、そして大量のごみが支援物資によってもたらされない援助を行っているローカルの団体もあります。そうした団体を時をみてご紹介していけたらと思っております。
会議参加者から聞かれた声
皆から聞かれた言葉は、驚き、悲しみ、痛み、しかし希望もあるといったものでした。会議を参加した大半の会議参加者が、Peace Campに参加していたため、インターネットあるいはテレビが見られる環境になって状況の深刻さにまず驚愕しました。家族、親族と連絡がつかないため心配する気持ちを抑えられない、あるいはテレビの映像を観て思わず涙を流したと言います。そして多くを失ったことへの痛み。しかし、困難な状況はこの個性ある地域に分断された国が一つの方向を向いてくきっかけではないかという声も聞かれました。フィリピン人は皆仲が良いので一つにまとまりやすいと思われがちですが、実際は古くから地理的な分断により独自のコミュニティを作ってきてきたため地域主義が染みついています。皆が同じ方向を向いて国を考えるチャンスなのだろうと考えたと言います。痛みを伴いつつもその起こった意味を捉えようとしている様子でした。
この間、政府の対応のまずさが批判の対象になっていますが、地域の政府を持って動く中央政府は地域政府に勤める役人自体が被災しているために出来ることが限られているようにも思われます。日本の震災の時もそうだったと思います。そうした状況で、政府の対応が十分ではないとどこまで言い切れるのか。それを予想して対応できるほどの資源も予算もあるのかも不確かであるため、私自身も含めて政府の非難より政治的意志の統一と動員がどこまで可能か、そしてそうなることを望む声が多く聞かれました。それと同時に海外からの迅速な支援に励まされるという声が聞かれました。
被災者への祈り
枢機卿タグルは、会議の行われた16日土曜日を追悼と希望の日として、祈りによる団結を呼びかけました。懺悔と瞑想、そして断食を呼びかけました。夜6時には教会の鐘が鳴り、一月前のボホールでの地震、そして今回のスーパー台風の被災者のために祈りを捧げました。
大きな災害が起こると宗教的意味合いと結びつけられる土地柄です。タクロバンを聖書のソドム・ゴモラの町に結び付け人々が話す声も聞かれます。また、他の宗教からはカトリックへの批判、教会の腐敗の故に罰が下ったという人もいるのだとか。今日の祈りの日がレイテ島の被災者たちを無言で糾弾するものではなく、個々人の深い内省に結びついたらと思っております。
何が出来るのか
個人、グループ、短期、長期の視点でざっくり話し合いました。詳細は来週のリーダーミーティング(なぜか私も投票によりリーダーに選出されましたので・・・)に持ち越しですが、以下がおおよその話し合いの結果です。
個人としてすぐに出来ることとして挙がったのは
-FBでポジティブなメッセージを拡散し、団結を呼びかけること
-寄付
-自分の生活習慣を変える
団体として出来ること
-サイコソーシャル(Psychosocial)、心理的手法を用いての被災者支援のためのボランティアトレーニングと派遣
-団体のメンバーに一日30分、夜の9時から9時半まで電気を消す、そして瞑想の時間を持つ
自分の生活習慣を変えると言うのは、台風の巨大化が地球の温暖化による可能性が高いため、今回の台風を警告として捉えて自分の生活を改めるということでした。環境活動家は、仕組みの変化の重要性を強調し、こうした個人の取り組みを軽視する傾向にあると思います。電気も留めておくことが出来ないので使わなくてもその分を発生させる仕組みがもう出来上がっている・・しかし、それらの事実を認識しつつも啓蒙的意味合いを持って30分の消灯など決めたわけです。台風を止めることは出来ないまでも台風をもしかしたら巨大化させないための温暖化への取り組みは、個々人としても社会として取り組まねばならないことだと感じます。なので被災者支援へのサポートも大切ながらも、環境問題にどう取り組むのか具体的な策の必要性を強く感じます。
瞑想の理由は、情報と物質に溢れるこの社会で衝動に抗らう力を高め、不安を軽減するなどの効果があるためです。シンプルに生活を営む一つきっかけとなるのではと思います。
最後に
寄付が何より有難いものの、台風が来るたびに対処的に援助を行っている状況に何とも言えぬ疲労感を感じます。自らも何か出来る道を探りつつも、地球そのものの環境の変化と捉えて、まずは自らの足元から考えるべきだと自分自身思った次第です。
懸念は、今は被害に遭った直後であるために世界的な注目を集めていますが、あと一カ月もしないうちに人々はこの災害を忘れさられることです。またタイミング的には年末年始、お金も必要になります。しかし、被害が甚大であったため、長期的な支援が必要になります。
寄付を考えている方にお願いしたいのは、少々待って頂くこと、そして一カ月、二カ月後に現地の人たちと直接のつながりを持つ団体への寄付して頂くことをおススメします。更に言うと、環境に優しい生活をして浮いたお金を寄付して下さったら嬉しいと思っております。温暖化が巨大化する台風の原因と訴えるなら(汗)その負の貢献をしている先進国や便利な生活を居住する都市部に生きる人々にも大きな非があるとも読みとれるのですが、それなら「罪滅ぼし」のためのお金よりも、原因に対応する形で少しでもお金が集められたらいいのではと思った次第です。
被災者支援ですが、缶詰もそうですが可能な限りローカルのマーケットで物資を購入し、現地の人に食事を準備してもらい、その代価を払う仕組みを作り、缶詰やインスタントラーメンなどで偏りがちな栄養、そして大量のごみが支援物資によってもたらされない援助を行っているローカルの団体もあります。そうした団体を時をみてご紹介していけたらと思っております。
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