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2016年11月20日日曜日

世界テロリズム指標2016の発表(Global Terrorism Index 2016) ハーグ

11月17日、世界テロリズム指標2016の発表がハーグのシンクタンク、ハーグ国際正義研究所(The Hague Institute for Global Justice)にて行われました。

経済平和研究所の研究所長(Research Director, Institute for Economics and Peace) Daniel Hyslop氏による指標2016年度の要旨の発表、 ハーグテロ対策研究所(The International Centre for Counter-Terrorism – The Hague (ICCT))、ディレクター代理Alastair Reed博士、グローバル・コミュニティ アンド レジリアンス ファンドのAmy Cunningham 氏がさらに論旨を深め、のち質疑応答の時間が30分ほど持たれました。

Global Terrorism Index 2016 Launching in the Hague
Global Terrorism Index 2016 の発表


世界のテロリズムの傾向

2016年は29,376名もの人が亡くなりましたが、テロリズムによる死が前年比で10パーセント減少しています。ISILの本拠地で30パーセント、ボコ・ハラムの本拠地ナイジェリアでは30パーセントの減少が見られました。レポートのでは76カ国に指標の向上が見られました。

一方で、23カ国でテロ関連の死傷者が過去最多。OECD加盟国内での死傷者は650パーセント上昇!! OECD加盟国34カ国中21カ国がテロの攻撃を受け、それらの攻撃による死傷者の52パーセントがISIL(イスラミック・ステート)が関係しています。

テロは、発生地域、加害主体の集中が見られます。加害主体は主にISIL、ISILに触発されたグループ、タリバン、アルカイダ、それら4つのグループが全体の74パーセントを占めています。そして、ISILがボコ・ハラムを抜きました。

ISILとボコ・ハラムは本拠地で勢力が弱まりましたが、その代りにその活動範囲は広がりました。ボコ・ハラムは近隣の国に、ISILもその近隣地域と、少し離れたチュニジア、フランスなどでテロ行為を行っています。

依然としてテロ指標が高い10カ国は、イラク、アフガニスタン、ナイジェリア、パキスタン、シリア、イエメン、ソマリア、インド、エジプト、リビア。OECDでのテロが脅威を与えましたが、多くのテロが見られたフランスは指標の中では29位(フィリピンは12位、日本は67位)、パレスチナに次いでいます。指標の数値や順位を見て一喜一憂はできません。

指標作成に関わった専門家たちは、OECD加盟国とその他の国のテロ発生と関係する要件は異なり、OECD加盟国では社会・経済的要因―(若者の)雇用の機会、軍事化、小型武器の入手が容易であること、認知される犯罪のレベル、政治不信と指摘しています。

一方、OECD以外の国では、汚職のレベル、難民が人口に占める割合、紛争の期間、近隣国との関係、正常の不安定、紛争の激化、紛争による死者などの特徴が挙げられます。

また、両者には共通点があり、暴力的デモ発生の可能性、とりわけ他者の権利の容認や不平等が深くテロの発生と相関関係を示しています。


世界テロリズム指標とは?

Global Peace Index 2016
Global Terrorism Index 2016 世界テロリズム指標2016

世界テロリズム指標(Global Terrorism Index)テロリズムによるインパクトを測るための指標で世界163カ国、世界人口の99.7パーセントをカバーしています。指標は、世界的権威ある世界テロリズムデータベースを元にしています。

指標のスケールは0から10。0はテロによる影響がないことを意味し、数が大きくなるほどにその影響の大きさを示しています。

上記のワースト5の国の指標は以下です。
1.イラク 9.96
2.アフガニスタン 9.4444
3.ナイジェリア 9.314
4.パキスタン 8.613
5.シリア 8.587

参考:日本 2.447

指標は、年毎のテロ活動の数、テロによる死者数、テロによる負傷者、所有物損害のレベルから指標化します。

活動による死傷者のスコアを最大の3として、所有物損害のレベルを2、テロの件数を1、テロによる負傷者数を0.5とします。

スコアの一例
指標 /指標のウエイト/1年の記録/素点
テロリストの件数/1/21/21
死傷者数/3/36/108
負傷者数/0.5/53/26.5
所有物のダメージ/2/20/40

素点合計/195.5    
素点を1~10のスケールにします。

自明ではないテロリズムの定義

テロリズムという言葉はメディアを通じて、日常的に耳にしますが、実は定義はそれほど明確ではありません。何となく、一般市民に加える暴力のようなあいまいとしたイメージがあり、日常的にそれら定義を明確にする必要は考えないでしょう。

しかし、定義作りが必要な理由は、①データ共有の際、②政策立案のため、③法整備をするためと理由は明白です。このようなテロリズムの指標を作る際も、研究・分析のデータ共有の必要性から定義は必要です。

オランダのカールシュミット(Carl Schmitt)は、テロリズムを定義するために指標となる12の要素を提案しています。そのうちのいくつか要素を挙げると、暴力の実践に関するドクトリンがあること、テロ行為が戦略となる状況がある、恐怖、パニック、心配を与える、直接のテロの被害者が窮状や不満を訴えたい相手ではない。同氏の提案はいろんな観点が含まれており、同指標を検証する上で非常に参考になります。

このGTIには国家が支援するテロ行為は含まれていません。それゆえに完全に満足できる指標とは言えませんが、定量化することで感覚で「テロの恐怖がそこまで迫っている」「コワイ」と思うことから、実際はテロの多くはこのブログを書く私や読んでくださっている読者の生活圏から離れたところで起こっていると自覚する一助になると思います。

また、テロによって多くの損害を被っている国がどこで、それが国の援助活動・対テロと言われる支援とどうつながっているのか、批判的に見る助けになると思います。


2016年11月17日木曜日

ベルタ・フォン・ズットナーをしっていますか?

いきなりですが、ベルタ・フォン・ズットナーを知っていますか?

ここでクイズです。
ベルタ・フォン・ズットナーとは
①ノーベル平和賞を初めて受賞した女性
②オーストリアの2ユーロの肖像となった人
③小説家

正解は・・・

全部です。

もし、あなたが平和活動に関心があり、またそういう活動にかかわっている場合、彼女の存在を知っていなかったらもぐりです!

とまでは言いませんが、知っておくべき人物の一人ベルタ・フォン・ズットナーは1世紀前のオーストリア出身の女性平和活動家です。著書「武器を捨てよ!」は有名です。そして、ノーベル平和賞の女性初の受賞者、オーストリアの2ユーロ貨幣はベルタ・フォン・ズットナーさんの肖像です。





昨日、ハーグの中央図書館でベルタ・フォン・ズットナーについてのランチタイムレクチャーがあり、同僚とともにお邪魔してきました。レクチャーはオランダ語でしたので、私はちょっとしかわかりませんでしたが、30分のレクチャーは同僚曰く大変満足できるものだったといいます。


ベルタさんは、1843年6月9日生まれ、ノーベル平和賞を受賞した約10年後の1914年にその激動の人生を終えました。彼女の生きた時代は、軍事競争が激化し、まさに大戦前夜。その中で、戦争のない世界を目指して精力的に活動した作家、女性平和活動家です。

著作「武器を捨てよ!」では、主人公マルタの目を通じて、戦争の悲惨さを伝え、多くの共感を得ました。マルタと執筆、出版時のベルタさんの年齢は同じぐらいだったため多くの人が自伝と思ったようです。

ノーベル賞で有名なノーベルの秘書であった時期もありました。また、執筆活動以外にもオーストリアで平和団体を創設、またドイツの国際平和ビューローに加入し終身会員であり同副会長も務めました。 

当時では、彼女の生き方や主張は過激にも映ったかもしてませんが、先駆的な女性平和活動家でした。



白状しますが、私自身オランダに戻ってくるまで、名前と著作は知っていたけど、具体的な貢献などについては「もう昔のこと」として深く気にも留めていませんでした。

ベルタ・フォン・ズットナー(ベルタさんと以下お呼びします)との再会は、現在ボランティアをしているInternational Network of Museums for Peaceの事務局長(実は不思議なことに、事務局でそのポジションを示す名称がないので、仮にそうお呼びします)がベルタさんに強い関心を示しており、事務局でも何度もその名を聞いたことです。

それから、ベルタさんはオーストリアの出身で、オーストリアにあるPeace Trail の15の場所の一つがベルタさん縁の地です。短い通りは、彼女の名を冠しています。ウィーンは、日本人が観光でよく出かける場所なので、ぜひそれらの場所を巡ってほしいと思います。

Peace Trail in Vienna
Peace Trail (c) discver peace http://wien.discoverpeace.eu/peace-trail-vienna/


*Peace Trailのガイドブックもウェブサイトも英語と現地語のみに訳されているので、日本語版は残念ながらありません。ただ、多くの人がリクエスト(日本語版がほしい!)と言ったら、もしかしたら日本語訳も考えるかもしれません。(実現の確率はわかりませんが・・・、言ってみて損はないでしょう?)



2016年11月16日水曜日

オランダの平和賞―カーネギー・ウォータラー平和賞(Carnegie Wateler Vredesprijs) 2016授賞式

カーネギー・ウォータラー平和賞2016授賞式が2016年11月16日に平和宮 (Peace Palace)で行われ、今年はオランダの外交官で、国連レバノン特別調整官 -シクリッド・カーク (Sigrid Kaag)氏が長年の中東における功績により受賞ました。

Mrs. Sigrid Kaag at Peace Palace
授賞式後、プレスのインタビューに答えるシクリッド・カーク氏


オランダ外交官のカーク氏は、国連移住機関(IMO)で国連でのキャリアが始まりました。その後、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East、UNRWA)、国連児童基金(United Nations Children's Fund)、国連開発計画(United Nations Development Programme)でアフリカ、中東地域に長く勤務しました。近年は、シリアにおける化学兵器の全廃に特別調整官として尽力しました。



インターネットニュース・アルジャジーラのインタビューに答える映像が残されています。




カーネギー・ウォータラー平和賞とは?
カーネギー・ウォータラー平和賞は2人の歴史的に重要な2人のフィランソロピストの名前を冠したオランダの平和賞と呼ばれ、平和に貢献した団体や人物に贈られます。

カーネギーはアメリカの鉄鋼王でしたが、平和宮の建設に貢献した人物であることは知られています。そして、平和宮はカーネギー財団の元、さまざまなプロジェクトや催しが行われています。

一方ウォータラーは、日本ではあまり知られていませんがオランダ人の銀行家でフィランソロピストです。100年前の11月16日、ちょうど式典が行われた日にヨハン・ウォータラーは自らの財を平和賞の創設にささげると誓約しました。

Johan G.D. Wateler
ヨハン・ウォータラー (平和博物館 e-book, Peace Philanthropist - Then and Now)


現存する平和賞では、ノーベル賞の次に古いと言われています。ウォータラーはその財産を言葉や行いによって平和に貢献した個人や団体にささげる賞とすることをオランダ政府に提案しました。しかし、何らかの理由でオランダ政府は拒絶。その代わりに、カーネギー財団にその任を託すことにしました。現在の名前、カーネギー・ウォータラー平和賞となったのは、2004年です。

平和に特化するフィランソロピストについてはこちら、平和博物館発行の「Peace Philanthoropy - Then and Nowをご一読を

式典の様子
5時の開会、歴史家で平和博物館のマーティン・バン・ハーテンがフィランソロピストの本を出版したため、そのスピーチと本の紹介、そして平和賞受賞者の授賞式、スピーチ、歌と音楽ありの式典でした。政治家、外交官、国際司法裁判所の裁判官、研究者、NGOなど、およそ100名が平和宮のICJ裁判が開かれるグレートホールに介しての式典でした。
Carnegie Wateler Peace Prize



国連やNGOで働くことは、とくに称賛されたいと思い始めることではありませんが、その仕事を通じて難しい状況にいる人たちがいることが社会に認識されます。

カーク氏の受賞、心からお祝いいたします。