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2017年6月21日水曜日

世界は平和になりつつあるのか?-世界平和指標2017発表

世界は平和に近づきつつあるのか?

毎日どこかで戦争があり、毎日どこかで人が戦争・犯罪などで亡くなり、テロのニュースも頻繁に聞くようになって久しい今日。世界は平和から程遠いのでは?と思われます。しかし、"昨年に比べて"ちょっぴり、平和に近づいた!と世界平和指標はいいます。

昨年に比べて、平和指標は全体平均で0.28%上昇し、世界は少しだけ平和になりました。(163カ国をカバーする指標中)93カ国で平和指標の上昇が見られ、63カ国で低下、世界の最も平和である国と、最も平和から遠い国とのギャップは広がりました。
(Global Peace Index 2017 Highlightより)

今日2017年6月13日、オランダハーグのシンクタンクThe Hague instituite for Global Justice で、世界平和指標2017年版の発表があり、参加してきました。


Global Peace Index (世界平和指標)
http://visionofhumanity.org/app/uploads/2017/06/GPI-2017-Highlights-1.pdf

世界平和指標(The Global Peace Index、以下GPI)とは

GPIとは、文字通り各国の平和度を計る指標です。オーストラリアに本拠地を置く世界的シンクタンクInstituite for Economics and Peace によって作られました。23の指標をもとにして専門家の定めた視点を1から5のスコアで評価し、それを総合した値で平和度を測り、毎年世界の傾向を発表し、また国別のランキングを出しています。

現在進行中の国際・国内の紛争を紛争での死者数、長さ、近隣諸国との関係等6つの指標から評価し、セキュリティを犯罪率、国内外の難民、政治的安定、テロリズムのインパクト、殺人率、暴力犯罪、受刑者数、人口10万人に対する警察の数など10の指標から評価、そして軍事化を軍事費、10万人単位での軍人の数、通常兵器の輸出入、国連平和維持部隊への財政的貢献、核兵器、重火器・核兵器の所有、小型武器・軽武器へのアクセスのしやすさなど7の指標によって評価します。

2017年度の傾向

この指標の提唱者である、フィランソロピストのオーストラリアの企業家スティーヴ・キレリアが2017年の評価を発表しました。

オーストラリアの企業家スティーヴ・キレリア氏


2017年度のサマリーとして3点、1)平和指標は全体平均で0.28%上昇。この上昇は2014年以来のもの。2) 93カ国で指標は向上し、63カ国で悪化。3) 悪化した理由は、国内紛争と近隣諸国との関係性の悪化によるもの。4) #3に抗するべく改善された点は国外紛争と政治テロ。5) シリアは引き続き、平和指標の最下位にとどまっている。6)エチオピアとブルンジは指標が大きく低下した。 7) 北アメリカはアメリカの指標の低下に影響し、全体的に下がった。 8) アイスランドは再び、最も平和な国にランキングされた。9)中央アフリカ共和国とスリランカは大きな改善が見られた。10) 南アメリカは地域として大きく向上した。11) ヨーロッパは地域として最も平和であるが、セキュリティの面で指標は大きく低下した。

2017年度、世界で最も平和な国ランキング
1 アイスランド
2 ニュージーランド
3 ポルトガル
4 オーストリア
5 デンマーク
6 チェコ
7 スロベニア
8 カナダ
9 スイス
10 アイルランド 日本

 平和指標下位10カ国
163 シリア
162 アフガニスタン
161 イラク
160 南スーダン
159 イエメン
158 ソマリア
157 リビア
156 スーダン
155 中央アフリカ共和国
154 ウクライナ
153 コンゴ民主共和国

過去10年のトレンド

2008年以来、平和度は2.14%悪化し、80カ国が向上する一方で83カ国が悪化しました。
67%の国で殺人率が低下、政治的テロ率は低下し、平均的な軍備に費やすレベルは向上しました。一方でテロは広がり、特にOECD諸国でのテロによる死者数は900%上昇、国内紛争は増え、死者数は2015年で97,241人、6500万人が難民となっており、この数は10年前の2倍の数値です。

暴力の世界経済への影響

暴力が経済に与えるインパクトは、約143兆ドル(日本円:1 566.43663 兆)で、GDPの12.6%、一人当たり1,953ドル(21万円)。平均的な暴力のコストは、最下位10カ国ではGDPの37%を占め、一方で平和な国トップ10のGDPではわずか3%でした。戦争や暴力は、経済に甚大な影響を与え、その傾向が紛争中とその後において顕著です。シリアでは、2011年~2014年の間でGDPが53%低下しました。

平和を測ることの意義

これまで、軍需産業が如何に国の経済に貢献したのかという点で戦争が経済に与える影響が述べられることが多かったように思います。そして、それらの指標の分析は技術的にしやすかったと思います。

平和を測ることの難しさは、他でもなく平和という概念の広さと、包括している分野の故です。「ネガティブピース(Negative peace)」、暴力を具体的に止めるということから、「ポジティブピース(Positive peace)」と呼ばれる構造的な問題ー不平等、貧困、人権問題などを含めると概念が包括する分野は一気に広がります。多様な概念をも含んで平和を測ることは、学術的には大きな挑戦でありますが、その意義は人々の平和への不断の努力を知ることができること、そして指標が低下している国に対して国際社会が注意を払うべきことを知ることができることだと思われます。

経済の発展のために平和をというと何とも合理的かつ、人命にかかわる分野を冷徹に金銭に換算すると捉えられるます。そして、指標によって計られたGDPの向上、経済的発展によって起こる問題もあります。しかし経済の安定的発展によって防ぎえる構造的な暴力もあります。経済とは両刃の剣であると思われますが、この指標とそこに向けられる努力は評価されるべきなのではないかと思います。

実はこの平和指標の発表、コスタリカの平和大学で提唱者のキレリア氏が発表した際偶然に居合わせたことがあります。2008年で当時は指標を作り発表して2年目の時でした。あれから10年近くたち、10年というスパンで傾向を見ることができるようになりました。

これからの10年、この指標の値が向上し続けるよう、努力を払いたいと思います。

2016年11月20日日曜日

世界テロリズム指標2016の発表(Global Terrorism Index 2016) ハーグ

11月17日、世界テロリズム指標2016の発表がハーグのシンクタンク、ハーグ国際正義研究所(The Hague Institute for Global Justice)にて行われました。

経済平和研究所の研究所長(Research Director, Institute for Economics and Peace) Daniel Hyslop氏による指標2016年度の要旨の発表、 ハーグテロ対策研究所(The International Centre for Counter-Terrorism – The Hague (ICCT))、ディレクター代理Alastair Reed博士、グローバル・コミュニティ アンド レジリアンス ファンドのAmy Cunningham 氏がさらに論旨を深め、のち質疑応答の時間が30分ほど持たれました。

Global Terrorism Index 2016 Launching in the Hague
Global Terrorism Index 2016 の発表


世界のテロリズムの傾向

2016年は29,376名もの人が亡くなりましたが、テロリズムによる死が前年比で10パーセント減少しています。ISILの本拠地で30パーセント、ボコ・ハラムの本拠地ナイジェリアでは30パーセントの減少が見られました。レポートのでは76カ国に指標の向上が見られました。

一方で、23カ国でテロ関連の死傷者が過去最多。OECD加盟国内での死傷者は650パーセント上昇!! OECD加盟国34カ国中21カ国がテロの攻撃を受け、それらの攻撃による死傷者の52パーセントがISIL(イスラミック・ステート)が関係しています。

テロは、発生地域、加害主体の集中が見られます。加害主体は主にISIL、ISILに触発されたグループ、タリバン、アルカイダ、それら4つのグループが全体の74パーセントを占めています。そして、ISILがボコ・ハラムを抜きました。

ISILとボコ・ハラムは本拠地で勢力が弱まりましたが、その代りにその活動範囲は広がりました。ボコ・ハラムは近隣の国に、ISILもその近隣地域と、少し離れたチュニジア、フランスなどでテロ行為を行っています。

依然としてテロ指標が高い10カ国は、イラク、アフガニスタン、ナイジェリア、パキスタン、シリア、イエメン、ソマリア、インド、エジプト、リビア。OECDでのテロが脅威を与えましたが、多くのテロが見られたフランスは指標の中では29位(フィリピンは12位、日本は67位)、パレスチナに次いでいます。指標の数値や順位を見て一喜一憂はできません。

指標作成に関わった専門家たちは、OECD加盟国とその他の国のテロ発生と関係する要件は異なり、OECD加盟国では社会・経済的要因―(若者の)雇用の機会、軍事化、小型武器の入手が容易であること、認知される犯罪のレベル、政治不信と指摘しています。

一方、OECD以外の国では、汚職のレベル、難民が人口に占める割合、紛争の期間、近隣国との関係、正常の不安定、紛争の激化、紛争による死者などの特徴が挙げられます。

また、両者には共通点があり、暴力的デモ発生の可能性、とりわけ他者の権利の容認や不平等が深くテロの発生と相関関係を示しています。


世界テロリズム指標とは?

Global Peace Index 2016
Global Terrorism Index 2016 世界テロリズム指標2016

世界テロリズム指標(Global Terrorism Index)テロリズムによるインパクトを測るための指標で世界163カ国、世界人口の99.7パーセントをカバーしています。指標は、世界的権威ある世界テロリズムデータベースを元にしています。

指標のスケールは0から10。0はテロによる影響がないことを意味し、数が大きくなるほどにその影響の大きさを示しています。

上記のワースト5の国の指標は以下です。
1.イラク 9.96
2.アフガニスタン 9.4444
3.ナイジェリア 9.314
4.パキスタン 8.613
5.シリア 8.587

参考:日本 2.447

指標は、年毎のテロ活動の数、テロによる死者数、テロによる負傷者、所有物損害のレベルから指標化します。

活動による死傷者のスコアを最大の3として、所有物損害のレベルを2、テロの件数を1、テロによる負傷者数を0.5とします。

スコアの一例
指標 /指標のウエイト/1年の記録/素点
テロリストの件数/1/21/21
死傷者数/3/36/108
負傷者数/0.5/53/26.5
所有物のダメージ/2/20/40

素点合計/195.5    
素点を1~10のスケールにします。

自明ではないテロリズムの定義

テロリズムという言葉はメディアを通じて、日常的に耳にしますが、実は定義はそれほど明確ではありません。何となく、一般市民に加える暴力のようなあいまいとしたイメージがあり、日常的にそれら定義を明確にする必要は考えないでしょう。

しかし、定義作りが必要な理由は、①データ共有の際、②政策立案のため、③法整備をするためと理由は明白です。このようなテロリズムの指標を作る際も、研究・分析のデータ共有の必要性から定義は必要です。

オランダのカールシュミット(Carl Schmitt)は、テロリズムを定義するために指標となる12の要素を提案しています。そのうちのいくつか要素を挙げると、暴力の実践に関するドクトリンがあること、テロ行為が戦略となる状況がある、恐怖、パニック、心配を与える、直接のテロの被害者が窮状や不満を訴えたい相手ではない。同氏の提案はいろんな観点が含まれており、同指標を検証する上で非常に参考になります。

このGTIには国家が支援するテロ行為は含まれていません。それゆえに完全に満足できる指標とは言えませんが、定量化することで感覚で「テロの恐怖がそこまで迫っている」「コワイ」と思うことから、実際はテロの多くはこのブログを書く私や読んでくださっている読者の生活圏から離れたところで起こっていると自覚する一助になると思います。

また、テロによって多くの損害を被っている国がどこで、それが国の援助活動・対テロと言われる支援とどうつながっているのか、批判的に見る助けになると思います。


2016年11月17日木曜日

ベルタ・フォン・ズットナーをしっていますか?

いきなりですが、ベルタ・フォン・ズットナーを知っていますか?

ここでクイズです。
ベルタ・フォン・ズットナーとは
①ノーベル平和賞を初めて受賞した女性
②オーストリアの2ユーロの肖像となった人
③小説家

正解は・・・

全部です。

もし、あなたが平和活動に関心があり、またそういう活動にかかわっている場合、彼女の存在を知っていなかったらもぐりです!

とまでは言いませんが、知っておくべき人物の一人ベルタ・フォン・ズットナーは1世紀前のオーストリア出身の女性平和活動家です。著書「武器を捨てよ!」は有名です。そして、ノーベル平和賞の女性初の受賞者、オーストリアの2ユーロ貨幣はベルタ・フォン・ズットナーさんの肖像です。





昨日、ハーグの中央図書館でベルタ・フォン・ズットナーについてのランチタイムレクチャーがあり、同僚とともにお邪魔してきました。レクチャーはオランダ語でしたので、私はちょっとしかわかりませんでしたが、30分のレクチャーは同僚曰く大変満足できるものだったといいます。


ベルタさんは、1843年6月9日生まれ、ノーベル平和賞を受賞した約10年後の1914年にその激動の人生を終えました。彼女の生きた時代は、軍事競争が激化し、まさに大戦前夜。その中で、戦争のない世界を目指して精力的に活動した作家、女性平和活動家です。

著作「武器を捨てよ!」では、主人公マルタの目を通じて、戦争の悲惨さを伝え、多くの共感を得ました。マルタと執筆、出版時のベルタさんの年齢は同じぐらいだったため多くの人が自伝と思ったようです。

ノーベル賞で有名なノーベルの秘書であった時期もありました。また、執筆活動以外にもオーストリアで平和団体を創設、またドイツの国際平和ビューローに加入し終身会員であり同副会長も務めました。 

当時では、彼女の生き方や主張は過激にも映ったかもしてませんが、先駆的な女性平和活動家でした。



白状しますが、私自身オランダに戻ってくるまで、名前と著作は知っていたけど、具体的な貢献などについては「もう昔のこと」として深く気にも留めていませんでした。

ベルタ・フォン・ズットナー(ベルタさんと以下お呼びします)との再会は、現在ボランティアをしているInternational Network of Museums for Peaceの事務局長(実は不思議なことに、事務局でそのポジションを示す名称がないので、仮にそうお呼びします)がベルタさんに強い関心を示しており、事務局でも何度もその名を聞いたことです。

それから、ベルタさんはオーストリアの出身で、オーストリアにあるPeace Trail の15の場所の一つがベルタさん縁の地です。短い通りは、彼女の名を冠しています。ウィーンは、日本人が観光でよく出かける場所なので、ぜひそれらの場所を巡ってほしいと思います。

Peace Trail in Vienna
Peace Trail (c) discver peace http://wien.discoverpeace.eu/peace-trail-vienna/


*Peace Trailのガイドブックもウェブサイトも英語と現地語のみに訳されているので、日本語版は残念ながらありません。ただ、多くの人がリクエスト(日本語版がほしい!)と言ったら、もしかしたら日本語訳も考えるかもしれません。(実現の確率はわかりませんが・・・、言ってみて損はないでしょう?)



2016年11月16日水曜日

オランダの平和賞―カーネギー・ウォータラー平和賞(Carnegie Wateler Vredesprijs) 2016授賞式

カーネギー・ウォータラー平和賞2016授賞式が2016年11月16日に平和宮 (Peace Palace)で行われ、今年はオランダの外交官で、国連レバノン特別調整官 -シクリッド・カーク (Sigrid Kaag)氏が長年の中東における功績により受賞ました。

Mrs. Sigrid Kaag at Peace Palace
授賞式後、プレスのインタビューに答えるシクリッド・カーク氏


オランダ外交官のカーク氏は、国連移住機関(IMO)で国連でのキャリアが始まりました。その後、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East、UNRWA)、国連児童基金(United Nations Children's Fund)、国連開発計画(United Nations Development Programme)でアフリカ、中東地域に長く勤務しました。近年は、シリアにおける化学兵器の全廃に特別調整官として尽力しました。



インターネットニュース・アルジャジーラのインタビューに答える映像が残されています。




カーネギー・ウォータラー平和賞とは?
カーネギー・ウォータラー平和賞は2人の歴史的に重要な2人のフィランソロピストの名前を冠したオランダの平和賞と呼ばれ、平和に貢献した団体や人物に贈られます。

カーネギーはアメリカの鉄鋼王でしたが、平和宮の建設に貢献した人物であることは知られています。そして、平和宮はカーネギー財団の元、さまざまなプロジェクトや催しが行われています。

一方ウォータラーは、日本ではあまり知られていませんがオランダ人の銀行家でフィランソロピストです。100年前の11月16日、ちょうど式典が行われた日にヨハン・ウォータラーは自らの財を平和賞の創設にささげると誓約しました。

Johan G.D. Wateler
ヨハン・ウォータラー (平和博物館 e-book, Peace Philanthropist - Then and Now)


現存する平和賞では、ノーベル賞の次に古いと言われています。ウォータラーはその財産を言葉や行いによって平和に貢献した個人や団体にささげる賞とすることをオランダ政府に提案しました。しかし、何らかの理由でオランダ政府は拒絶。その代わりに、カーネギー財団にその任を託すことにしました。現在の名前、カーネギー・ウォータラー平和賞となったのは、2004年です。

平和に特化するフィランソロピストについてはこちら、平和博物館発行の「Peace Philanthoropy - Then and Nowをご一読を

式典の様子
5時の開会、歴史家で平和博物館のマーティン・バン・ハーテンがフィランソロピストの本を出版したため、そのスピーチと本の紹介、そして平和賞受賞者の授賞式、スピーチ、歌と音楽ありの式典でした。政治家、外交官、国際司法裁判所の裁判官、研究者、NGOなど、およそ100名が平和宮のICJ裁判が開かれるグレートホールに介しての式典でした。
Carnegie Wateler Peace Prize



国連やNGOで働くことは、とくに称賛されたいと思い始めることではありませんが、その仕事を通じて難しい状況にいる人たちがいることが社会に認識されます。

カーク氏の受賞、心からお祝いいたします。



2016年9月16日金曜日

暴力に抗するには―シカゴの実践から

ドキュメンタリーThe Interrupters (2011) のアメーナ・マシュー(Ameena Matthews)さんがハーグに来て講演するとの情報を得て、ハーグ・インスティチュート・グローバル・ジャスティスの講演会場に行ってきました。




The Interruptersとは?

おそらく日本では上映されておりませんので、ひとまず作品の紹介を。2011年公開の非営利映画製作会社Kartemquin Filmsによる作品。Interrupterとは「妨害者」の意味。妨害者といっても、主な登場人物が暴力的な行為で何かを妨害するというものではなく、人々を暴力のサイクルに陥らないように妨害する人、暴力からコミュニティを守る人たちに焦点を当てたドキュメンタリー。



舞台となるシカゴはアメリカのニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ大都市。人口は大阪市と同じぐらいの270万人。今年1月から現在まで500件以上の殺人事件がありました(同市昨年比でも増加しているとのことです)。これがどれぐらい多いのか、日本と比較してみると、2015年1年間で、日本は933件の殺人事件があったので人口比で考えて、殺人事件、そしてその他の犯罪が日本はもちろん、ヨーロッパなどの都市に比べて多いことがうかがえます。ただ、注目すべきは犯罪がどこで、誰によっておこされているいるのか。そして銃器の使用。

上記の”妨害者”は、疾病の予防・治癒のような手法で、暴力の予防に取り組みます。暴力の根源を突き止め、それらに効果的な治療を施します。社会にこれを適応すれば、暴力的でかつ周囲に影響を与えている人物を特定し、彼らと接し、彼らのもつ社会的規範を変えていきます。

規範は社会学用語ですが、簡単にいえば行動のよりどころとされている社会からの期待とも言えると思います。犯罪に手を染める若者には彼らの所属するグループにおける”規範”があります。学校文化、社会がよしとするものへの反発、暴力をカッコイイとする規範を仲間うちの中で築いていきます。それらを若者たちに叱咤激励、寄り添いながら、そして信頼を得て、変えていきます。

アメーナさんの話
アメーナさんとはだれか?ドキュメンタリーで取り上げられた3人のうちの一人、唯一の女性。アフリカ系アメリカ人、そしてイスラム教徒。お父さんはギャングの親分で、現在は収監中。
ドキュメンタリーの話というよりは、彼女がどのような環境で育ち、誰から影響を受けたのか、などまるで近所の人との世話話を楽しむように、聴衆に話し聞かせてくれました。


アメーナ・マシューさん(左)、司会のアビ・ウィリアムさん(右)
家族の話では、両親の話はあまり出ず、おばあちゃんがどのように彼女を育てたのかを話してくれました。おばあちゃんの知恵と影響のためか、自分の家があまり貧しいと思ったことはなく育ったといいます。おばあちゃんは「○○だから、△△できない」とは言わなかったといいます。ある日、友達の家に行ったときにカラーのテレビがあり、それらを見てなぜうちにはないのか、そこで貧しさについて他の家と比較して気がついたそうです。

いろいろな人生のエピソードにふれましたが、その一つとして、学生時代の話がありました。学校の先生が、彼女が触れると黒くなる、あるいは彼女が触れたものを触ると(間接的接触で)黒くなる皆にいったそうです!まったくありえないような先生がいるもので驚きましたが、彼女は本当なのかと、わざと他の人のボールペンを使用し、体操着の名前を塗りつぶして着用したそうです。それで本当にそれらを使用した人が「黒く」なるのかと、ためしたようです。

エピソードが次から次へと出てきて、さまざまな登場人物が出てきて、話を追うのが大変でしたが(笑)彼女の話には彼女のおばあちゃんからの、あるいは彼女の経験からくる名言もちりばめられており、聞きもらすまいと私を含め、聴衆は必死だったはず。

会場の様子
1時間という時間内で、彼女のライフストーリーを聞き、そして質疑となる予定でしたが、質疑のための時間があまり残されず少々残念でしたが、会場は彼女のパワーに圧倒されていた様子。

会場は女性の参加者が多く、講演後彼女と個人的なコンタクトを持ちたい、質問したいという人たちが列を作りました。私もそのうちの一人でしたが、結局人が多すぎて質問ができませんした。その代わりどさくさにまぎれてちゃっかり一緒に写真を1枚とりました。



最後に、彼女の話とドキュメンタリーの肝は一体なんだったのか?暴力に暴力で抗しても望む結果「暴力からコミュニティを守る」が得られないということ。暴力は病気の病状に似て、そこに至る積み重なった原因があるのだから、それに根気強く対応しないといけません。

アメーナさんのおばあちゃんの、「be persistent!」、根気強く、粘り強くなれというアドバイスは、妨害者としての活動の中で、粘り強く若者に接し、コミュニティを暴力から守っていくという彼女の活動の中に活きていると思いました。

そして、「生」と「死」という選択肢があるのであれば、明らかに「生」を選択すべきだと力強い言葉が印象に残りました。「死」は解決ではなく、暴力の敗北的帰結なのだと私は理解しました。

2016年9月5日月曜日

フィリピン、テロとの戦い-ダバオナイトマーケット爆破事件

フィリピンでは、ドゥテルテ政権の下、2つの戦争―ドラッグとの戦い&テロとの戦いが進行中です。先日のダバオ市の爆破事件は、特に比政府のテロとの戦いを激化させました。これらの闘いに勝利はあるのでしょうか。

Davao crocodile park
ダバオ市のワニ園にて撮影 2009年


テロとの戦い
アブサヤフによる未成年者の斬首事件
アブサヤフは、フィリピンそしてアメリカでもテロに指定される団体で、フィリピン南部のホロ島やバシラン島などのスールー諸島及びミンダナオ島のサンボアンガ半島などを拠点で活動していおり、近年は組織的誘拐(誘拐ビジネス)によりその活動資金を得ている。先月末、誘拐された未成年者がアブサヤフの手により斬首されました。それを機にミンダナオのスルー州で大規模な掃討作戦を行っています。

ダバオのナイトマーケットの爆破
フィリピン、大統領が長年市政を務め、現在は大統領の娘が市長を務めるダバオ市で9月2日金曜日の夜ナイトマーケットで爆発事故が起こり14名が死亡、67名が負傷するという事件が起こりました。

(C) APF ダバオ事件後の様子



無法状態宣言(State of Lawlessness)
事件後、外国人誘拐事件を繰り返す、アブサヤフが犯行声明をだしました。これに対して、ドゥテルテ大統領はフィリピン全土に無法状態宣言(State of Lawlessness) を発令しました。2003年に全体大統領グロリア・マガパカル・アロヨがダバオ市限定に発令しました。これは、以前マルコス政権時代に発令した厳戒令は異なります。

**無法状態宣言(State of Lawlessness)って何?
1987年憲法で、大統領は無法な暴力を防止あるいは抑圧するために軍を招集することが許されています。
18項、7条で、フィリピン共和国大統領は、必要があればフィリピン国軍の指揮官となるとされます。大統領は軍を招集し、無法な暴力、侵略、反乱を防止し抑圧するであろうと記されています。

大統領の非常事態や国家の危機的状況に対する措置は3つの段階があります。まずは今回の措置、その上の段階は権力は、国民としての特権である人身保護礼状を一時時にさし止めし、裁判を経ずに捉え収監することが許されるようになります。最終段階が厳戒令です。

無法状態宣言(State of Lawlessness)とは具体的にどういうことなのか。
チェックポイントを増やし自動車やバイクの検問を実施、軍はその基地を離れて外でパトロールをすることになり、一般国民の目に多く触れることになります。
ミンダナオは例外的に軍人を高速道路沿いでよく目にしますが、私が生活していたビコール地方では勿論、他の地域では見られない光景です。また、夜間外出禁止も場所によっては指定されると思われます。

大統領ならやりかねないと思いつつ、私はこの措置にかなり驚きました。ダバオやミンダナオだけであるならまだしもフィリピン全国、無法状態宣言(State of Lawlessness) は行き過ぎた措置なのではないでしょうか?まず、行き過ぎた警戒で、返ってテロリストたちへの過剰反応であると見られてしまい、宣言の発令が投資に影響すると考えられるためです。

「処刑OK?ドゥテルテ大統領の過激な麻薬対策」

今後、厳戒令にまで引き上げるとは思いませんが、テロとドラッグ問題は重複すると警察庁長官が発言し出し、より暴力が公に許されてしまうことが懸念されます。アブサヤフが犯行声明をだしているものの、政権の就任以来の過激な麻薬対策+超法規的殺害に対する反応とも見られているためです。テロリストと麻薬王が重複する?あるいは協力体制にある?と。

しかし、そうだとしたら政権の用いた暴力に対する「暴力」での応酬とも見られます。一部国民および在比外国人はこれで治安がよくなると大統領を支持しますが、フィリピンは一部暴力がはびこる地域があっても法治国家であるということ、そして過激な政策には報復として過激な反応(カウンター)があるということを忘れてはいけません。

また、憲法により明記されているこの大統領が有する権利、行使が適切であるのか、国民は常に目を光らせておかねばなりません。



2016年8月29日月曜日

英雄?故マルコス大統領英雄墓地埋葬を巡って

8月29日はフィリピンピンは英雄の日で休日*でした。

英雄の日は、フィリピンの国家建設に命を賭してまで尽力した、有名・無名の男女個人をたたえる日で、地域によってはパレードなどの催しがあります。

フィリピンでは誰が一体英雄なのでしょうか。
ホセ・リザール(Jose Rizal)、アンドレス・ボニファシオ(Andres Bonifacio)、エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo)、アポリナリオ・マビニ(Apolinario Mabini)、マルセロ・デル・ピラール(Marcelo H. del Pilar)、スルタン・ディパトゥアン・クダラット(Sultan Dipatuan Kudarat)、フアン・ルナ(Juan Luna
) メルコラ・アキノ(Melchora Aquino)、ガブリエラ・シラン(Gabriela Silang) スペインの独立に尽力し、スペインの後に来たアメリカに抗した人物たちです。(この中で何人の英雄を知っていますか?)


ラモス政権時に国家英雄委員会が1995年に定めた基準により、上記の人たちが政府によって認定されました。それでも勿論、人によっては英雄の定義がことなります。

フィリピンでここ一、二カ月話題となったのは、故フィエルディナンド・マルコス大統領のマニラのタギグ市にある英雄墓地(Libingan ng mga Bayani)埋葬問題。ドゥテルテ大統領が故マルコス大統領の亡骸を故郷のイロコスから英雄墓地に移動すると発言し、論争を巻き起こしました。

特に8月はニノイアキノデー、そして上記の英雄の日もあり、フィリピン国民にとって英雄とは一体誰なのか、再考する日とそしてその英雄たちにならいアクションを起こす日となりました。

故マルコス大統領は英雄か?
フェルディナンド・エドラリン・マルコス(Ferdinand Edralin Marcos 1917年9月11日 - 1989年9月28日)は、第10代フィリピン大統領。20年間にわたって権力を握り、独裁体制をしいたが1986年の人民革命(エドゥサ革命)によって打倒されました。その後はアメリカ、ハワイに亡命し病死。20年の政権時代、行方不明者、警察・軍権力者による女性のレイプ、活動家の投獄と超法規的殺害は多数。そして不正蓄財と権力をほしいままにした人物です。

2016年大統領選の期間中に故大統領の息子で、副大統領に選出したボンボンマルコス上院銀が、独裁政権を正統化する発言をし、メディアでも話題になりました。シンガポールの初代首相が亡くなった際、「エドサ革命が起こらず父の政権が続いていれば、比はもう一つのシンガポールになれたであろう」と言い、また、一部のフィリピン人はその間、フィリピンは経済的にも強く、秩序もあったといいます。

秩序と言っても見せしめのための処刑、公権力を使った恫喝・恐怖政治を敷いていただけのこと。経済の発展よりも自分の懐を肥やしていたのは他の政治家と全く変わりはありません。例えば、現在は建設はとまっているバタアン原発については、マルコス元大統領や協力者が当時8千万ドルもの賄賂を受け取っていたことが裁判資料から明らかになっています。

国家の英雄や異人が他の国では、そうではないことはよくあることですが、これだけ自国の国民を苦しめ、そして搾取した人物が「英雄」の列席に加わるというの納得がいかないのは勿論のこと、国民の反発が出てしかるべきことだと思います。

国民の反応
埋葬問題に関してマルコス政権下の人権被害者を支援する民間団体セルダが、計画の差し止めを訴え、各地域では大規模な反対デモが組織されました。国民の意見は明白のように思われます。

先日も私が教えてたアテネオ大学ナガ校で500名ほどが参加する大規模なデモが組織されました。学生たちが横断幕を持って「Marcos is NO Hero」マルコスが絶対にフィリピン国のヒーローでないことを訴えていました。

(c) Naval 2016



実は、2016年の選挙運動時期、大学教員の間で危惧していたことは、若い世代が独裁政権について知らなさすぎるのではないかということでした。実際、若年層の故マルコス大統領の息子、ボンボンマルコス議員の人気が高かったためです。選挙期間中の公開ディベートの歯切れの良さが若年層の人気を高めたようです。

サポーターはこと息子、ボンボンマルコス上院議員に関しては、親の行ったことが子どもに影響し、そのつけを払わされるというのは不当であるといいます。確かにそうかもしれません。ただ、彼が家族の一員として受けた不正による恩恵は、分別ある大人、そして公人として顧みる必要があります。上記のように傲慢にも父親が行った独裁が平和と秩序をもたらし、国を繁栄させたとは口が裂けても言えないでしょう。

Marcos is NO hero!
故マルコス大統領は外国人の私の目から見ても英雄とは言えません。はじめに挙げたフィリピンの英雄たちは国家の重大事に関わり、命を賭してまでも自らを貫いたフィリピン男女たち。彼らと最終的に私腹を肥やし(スイスの銀行に口座がある)、妻イメルダを役職に着かせ、自らに牙をむくものは国家権力を用いて黙らせる、そんな故マルコス大統領を英雄たちと同列に扱うことは出来ないのはないでしょうか。

昨今のインタビューでドゥテルテ大統領が故マルコス大統領を英雄ではないと認めています。更に第二次大戦中に受賞したと言われるメダルも偽物であったことが証明されても、意地でも彼を英雄墓地に埋葬すると言い張る大統領はもはや英雄墓地の意義を変えようとしているのではないかと思う感もあります。もしくはお得意の「冗談」あるいは「ちょっと言ってみただけ」と大衆の怒りを交わすのでは・・・。ただ、今回はそんな大統領の笑えない冗談に付き合う余裕はないようです。


*この英雄の日は特定の日にちはなく、毎年8月の最終月曜日です。


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参考:President Bongbong http://opinion.inquirer.net/88032/president-bongbong

#Marcosisnotahero