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2016年8月18日木曜日

靴が語る過去: ドナウ川遊歩道の靴

古く美しいヨーロッパの景観を保つ、中欧の都市ブダペスト。とりわけ、ドナウ川にかかる橋から、眺めるライトアップされたブダ城や国会議事堂は、ドナウの真珠と言われるにふさわしい眺めです。

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そんな美しいドナウ川土手に“Shoes on the Bank of the Danube(ドナウ川遊歩道の靴)”と言われるホロコーストの記念碑があります。映画監督Can Togay(カン・トガイ)氏が着想、彫刻家のGyula Pauer(ジュラ・パウア)氏によって造られました。

Shoes on the Bank of the Danube


記念碑は40メートルの長さ、川から70センチほどの幅で、鉄で作られた60足もの靴がドナウ川に向かう形で脱ぎ捨てられています。持ち主不在のその靴は、観光客の足をひきとめ、かつてこの地で起こった悲劇を静かに語っています。

1945年1月8日の夜、反ユダヤ主義を掲げる民族政党矢十字党がスウェーデン大使館に亡命した154名をかき集めた。彼らを川岸に立たせ、射殺しました。これが、矢十字党によるユダヤ人大量虐殺のはじまりでした。

矢十字党党員は、59日間に約3,600人を殺害したと言われています。一回の“処刑”で平均30名を殺害し、その遺体は、ドナウ川に投げ入れられました。

処刑場所となったのは、ペスト側では、Szent István Park, Franz Josephの土手, ブダ側では、Batthyány Square, Szilágyi Dezső Squareなどです。セーチェーニ鎖橋での処刑が規模が一番大きかったようです。今となっては、日中観光客あふれるそれらの場所からは、そうした凄惨な事件があったことが想像ができません。

Budapest


殺害されたそれらの人々はユダヤ人でした。ユダヤ人たちはユダヤ人の象徴であるダビデの星が印された家に移され、後にゲットー(ユダヤ人たちが強制的に住まわされた居住地区)に移動させられました。これで、ユダヤ人と他のハンガリー人の別が出来るわけです。

隔離、そして処刑とユダヤ人にとって大変過酷な時代でしたが、勿論それを見ていたハンガリー人の心も穏やかではなく、中にはユダヤ人を匿った市民、また中には宗教者Sister Sára Salkaházi(後にカトリックで列福される)も居ましたが、彼らも共に殺害されました。

これらの史実は1989年まで公に語られることはありませんでした。また、差別主義者、反ユダヤ主義者による言説は続いており、今でも非常に繊細な問題といえるでしょう。

しかしながら、2010年にはドナウ河川の延長をした際、迫害されたユダヤ人たちを救おうと尽力した人物たちの名前*となりました。

こうした記念碑は世界各地、とりわけヨーロッパには多いように思います。人一人の命が尊ばれない時代があった、そして今もそうなのですが・・・、とても暗く悲しい気持ちになります。過去は決して変えられませんが、学んで、繰り返さない誓いを持つことがこうした記念碑を訪れる意義ではないかと思います。

*Count János Esterházy, Slachta Margit, Angelo Rotta, Sztehlo Gábor, Friedrich Born, Raul Wallenberg, Nina és Valdemar Langlet, Salkaházi Sára, Jane Haining and Carl Lutz .

参照:Peace Trail Budapest

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